坂東三津五郎の早すぎる死から現在へ|大和屋を継ぐ息子の絆と名優の足跡
日本舞踊の屈指の名手にして、品格と洒脱さを兼ね備えた当代屈指の名優・十代目坂東三津五郎。2015年2月21日、59歳という若さで彼が旅立ってから、歌舞伎界はあまりにも大きな精神的支柱を失いました。テレビドラマで見せた温かみのある佇まい、大のお城巡り好きとして知られた飾らない人柄は、歌舞伎ファンのみならず日本中の茶の間で広く愛されました。
没後10年余りが経過した現在、名門・大和屋の看板を背負い、舞台で圧倒的な存在感を放っているのが愛息・坂東巳之助です。三津五郎さんが命を削って遺した芸の精髄と、波乱に満ちた家族の絆、そして壮絶を極めた膵臓がんとの闘病生活の全貌を、今改めて紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:2015年に59歳で急逝した十代目坂東三津五郎の死因は膵臓がんであり、最後の瞬間まで舞台復帰への執念を燃やし続けた。
- 要点2:元妻・寿ひずるとの間に生まれた長男・坂東巳之助が大和屋を継承し、父の芸を受け継ぎながら次代の歌舞伎界を牽引する花形へと大きく成長を遂げている。
- 要点3:卓越した踊りの技術や『武蔵 MUSASHI』などの名演、さらには無類のお城巡り愛好家としての素顔など、遺した文化的功績は今なお色褪せない。
【名優の軌跡】坂東八十助から十代目三津五郎へ|大和屋を背負った華麗なる経歴と略歴
坂東三津五郎さんは1956年8月31日、九代目坂東三津五郎の長男として東京に生まれました。初名は五代目坂東八十助。幼少期より踊りの名手として知られる名門「大和屋」のサラブレッドとして厳しい稽古を重ね、1962年に『寿松竹梅』で初舞台を踏みました。
八十助時代から頭角を現した彼は、古典歌舞伎の骨太な役どころはもちろん、端整な立ち姿と軽妙な台詞回しで若手花形として人気を博します。転機となったのは2001年5月、歌舞伎座での十代目坂東三津五郎襲名でした。名実ともに大和屋の総帥となった彼は、伝統の継承に全精力を注ぐとともに、坂東流家元として日本舞踊の普及にも絶大な力を発揮しました。
歌舞伎の枠にとどまらず、野田秀樹氏が手掛けた『野田版 研辰の討たれ』『野田版 鼠小僧』への出演や、大河ドラマ『功名が辻』『武蔵 MUSASHI』、さらに『古畑任三郎』での犯人役など、映像の世界でも圧倒的なリアリティを放つ名優として日本中を魅了したのです。
【闘病の真相と死因】膵臓がん発覚から59歳の別れまで|最後まで舞台に立ち続けた執念
歌舞伎界の屋台骨として充実期を迎えていた三津五郎さんを突如として病魔が襲ったのは、2013年7月のことでした。定期検診で早期の膵臓がんが見つかり、ただちに摘出手術を受けることになります。発見が極めて難しいとされる膵臓がんに対し、本人は驚異的な気力で立ち向かいました。
過酷な抗がん剤治療を乗り越え、2014年4月、東京・歌舞伎座の「鳳凰祭四月大歌舞伎」で奇跡の舞台復帰を果たします。花道から登場した三津五郎さんに向けられた鳴り止まぬ大向こうと拍手は、今も語り草です。しかし、病状は決して平坦ではありませんでした。
同年秋、肺への転移が見つかり再入院を余儀なくされます。病床にあっても「もう一度、舞台で踊りたい」という執念を失わず、台本を手放すことはありませんでした。しかし願いは届かず、2015年2月21日、都内の病院で息を引き取りました。享年59。あまりにも早すぎる名優の旅立ちに、盟友であった十八代目中村勘三郎さん(2012年逝去)に続く悲報として、日本全土に深い悲嘆が広がりました。
【家族と愛憎の歴史】元妻・寿ひずるや近藤サトとの関係、大和屋を支えた絆
三津五郎さんの人生を語る上で欠かせないのが、波乱万丈とも言える私生活と家族の物語です。1983年、元宝塚歌劇団雪組トップ娘役スターの寿ひずるさんと結婚。人気絶頂のタカラジェンヌが梨園の妻となる決断は世間を驚かせました。寿さんとの間には二女一男(長男が現在の二代目坂東巳之助)が誕生し、おしどり夫婦として知られていました。
しかし1997年、価値観の違いやすれ違いから2人は離婚。その後、1998年に元フジテレビアナウンサーの近藤サトさんと再婚します。だが、梨園の伝統や後継ぎをめぐるプレッシャー、しきたりへの適応は容易ではなく、わずか2年足らずの2000年に離婚という結末を迎えました。
その後、三津五郎さんは独身を貫きましたが、子どもたちへの愛情が途切れることはありませんでした。特に元妻の寿ひずるさんは、離婚後も子どもたちを立派に育て上げ、長男・巳之助さんが歌舞伎役者として大成する道を陰ながら支え続けました。晩年の闘病期には、家族としての絆が再び静かに結び直されていたと伝えられています。
【大和屋の家系図と現在】息子・坂東巳之助が守る名門の看板と襲名への道
大和屋の歴史は江戸時代から連綿と続く屈指の名門です。初代坂東三津五郎から始まり、七代目、八代目、九代目、そして十代目へと至る家系図は、歌舞伎の舞踊史そのものと言っても過言ではありません。父の急逝により、わずか25歳で大和屋一門の命運を一身に背負うことになったのが、長男の二代目坂東巳之助でした。
父の背中を突然失った巳之助さんは、一時期の迷いを振り払い、凄まじい覚悟で舞台に挑み始めました。『新作歌舞伎 NARUTO-ナルト-』でのうずまきナルト役で新境地を切り拓き、若い世代のファンを歌舞伎座へと呼び込む一方、古典の名作でも父譲りの品格ある踊りと確かな台詞術を磨き上げてきました。
現在、巳之助さんは若手屈指の本格派として確固たる地位を築いており、梨園関係者やファンの間では将来の「十一代目坂東三津五郎」襲名への期待が日増しに高まっています。父の遺志を胸に刻み、大和屋の暖簾を堂々と守り抜く姿は、亡き三津五郎さんの誇りそのものです。
【城巡りから名舞台まで】舞踊の名手が見せた素顔と今も色褪せない至高の芸
三津五郎さんの魅力は、舞台上の張り詰めた芸の力だけではありませんでした。彼を語る上で絶対に外せないのが、筋金入りのお城巡りマニアとしての素顔です。全国津々浦々の名城・山城を訪ね歩き、城郭の構造や石垣の積み方、歴史的背景を専門家顔負けの知識で熱弁する姿は、テレビ番組や著書『坂東三津五郎のお城のこと無料で教えます』などを通じて多くの人に親しまれました。
もちろん、本領である本水を使った大立廻りや、『喜撰』『舌出三番叟』などに見られる坂東流家元としての至芸は神の領域に達していました。身体の芯がぶれず、足拍子一つで空気を変える三津五郎さんの舞踊は、今も多くの後輩役者たちが手本と仰いでいます。
「役者は舞台の上で嘘をついてはいけない」という信念のもと、役に血肉を通わせた数々の名演は、映像資料や人々の記憶の中で、時代を超えて生き生きと輝き続けています。
【坂東三津五郎】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:坂東三津五郎さんの直接の死因は何でしたか?
A1:死因は膵臓がんです。2013年7月に発覚して手術を受け、一度は復帰を果たしたものの、肺への転移などにより再入院し、2015年2月21日に59歳の若さで永眠されました。
Q2:息子の坂東巳之助さんは今後「三津五郎」を襲名する予定はありますか?
A2:公式な襲名の発表はまだ行われていませんが、大和屋の後継者として実力・実績を重ねており、将来的に十一代目坂東三津五郎を襲名することが確実視され、歌舞伎界全体から熱い期待が寄せられています。
Q3:坂東三津五郎さんと寿ひずるさん、近藤サトさんの関係はどうなっていますか?
A3:三津五郎さんは1983年に元宝塚の寿ひずるさんと結婚し3人の子どもをもうけましたが1997年に離婚。1998年に近藤サトさんと再婚するも2000年に離婚しました。長男の坂東巳之助さんは寿ひずるさんとの間のお子さんです。
まとめ:受け継がれる大和屋の魂と未来への光
十代目坂東三津五郎さんが遺した足跡は、歌舞伎の古典美を現代に蘇らせた至高の舞踊術から、誰もが親しめる人間味あふれる文化人としての姿まで、実に広大で豊かなものでした。59歳という早すぎる死は痛恨の極みでしたが、彼が命を賭して紡いだ芸の魂は決して途絶えていません。
息子・坂東巳之助さんが舞台で見せる鋭い眼差しや凛とした所作の端々に、確かに三津五郎さんの面影と教えが息づいています。名門・大和屋の伝統を守り、さらに新たな時代へと押し広げていく若き力の中に、名優・坂東三津五郎は今も生き続けています。 (出典: 坂東 三津 五郎(Yahoo!ニュース))